時計店が兼業で宝石・ジュエリーや高価な万年筆・ライターなどを扱っているお店を見たことはありませんか?
日本では「時計+めがね」というのが定番ですが、海外ではその組み合わせよりも圧倒的に「時計+宝石・宝飾品(ジュエリー)」という組み合わせが多くなっています。
実は時計にはジュエリー・宝飾品的な側面があり、昔の時計店には今よりも高度・宝飾品店と同じだけの技術が必要だったのです。
■ 歴史から紐解く
懐中時計が一般に普及し始めた1900年代の前半から第二次世界大戦が終わる1940年頃までの話。
時計は実は今のように、最初から「完全体」として売られていたわけではありませんでした。
どういうことかというと、時計は「組み立てられるもの」だったのです。例えばあるお客さんが時計が欲しいと思って時計店に行くとすると、そこから時計店がお客さんの希望に合わせて時計を作っていたのです。
もちろん全てがそうだったわけではありませんし、一から時計を組み立てていたわけではありません。時代・メーカーによっては、お客さんが予算や目的に合わせて「ケース・ムーブメント・文字盤」を選び、それを時計店がお客さんの希望に合わせてあつらえていたわけです。
例えば、あるお金持ちのお客さんの希望が「記念日に奥さんへ懐中時計をプレゼントするのが目的」だとしたら、お金には糸目をかけず、とてもきれいな装飾のある豪華な金無垢のケースを使い、さらに宝石をはめ込む。文字盤も金彩などが施されたものを選び、機械も石数の多い精度の高いもの・有名メーカーを選ぶ、といったように最高級であつらえる。
またあるお客さんの希望が、予算を抑えて時間を見るのに使いたい・少しぐらいの時差があってもかまわないとしたら、ケースには真鍮などの安い素材を使い、機械・ムーブメントには石数の少ない安いメーカーのもの、文字盤もシンプルなものにしてあつらえたということです。
ある意味で時計の多くがオーダーメイド・カスタマイズされたものだったのです。
時計店には時計本体の知識はもちろん必要とされていたわけですが、時計のケースに模様を彫り込んだり、特殊な加工を施したり、修理をしたり、金属・宝石を加工するジュエリー職人としての知識や技術も必要とされたわけです。
贈り物としての側面もあった時計と一緒に販売しやすい、時計店を経営する上でジュエリー職人としての技術・知識なども必要とされたことから、宝石・ジュエリー店が時計職人を雇って時計部門を併設したり、時計店が宝石・宝飾店を兼業で経営することが増えたということです。
■ 日本の場合
日本の場合はちょっと特殊で、「時計とめがね」が一緒になっているお店がとても多く、海外ではこういったケースは少なめです。
日本で一般に時計が普及したのが戦後。この頃には時計メーカーが時計を「完全体」として売り出すようになり、時計をカスタマイズする必要が無くなったことや、時計自体もほとんど壊れることがなくなり、誰でも手軽に売れるようになりました。
おそらくは、修理よりも数を多く販売することが重要になってきたため、お店間の競争も激しくなり兼業が必要になったことでめがねが選ばれたのでしょう。
このトピックは終了です。他のトピックを読むには、ホームページに戻ってください。
>>ホームページに戻る<<
▲ページトップに戻る